急に手作り弁当が食べたいだなんて言い出すから驚いたけど、別にわたし毎朝自分の分作ってるし、ついでだからまあいっかーなんて、でもこっそり気合を入れてちょっと早起きをして、うれしいおかず盛り沢山で作ったヒカルのためのお弁当は、彼の手に渡って1秒で物の見事に教室の床に散った。
 
「ご、ごめん!まじごめん、ごめん、ごめん」

ヒカルにぶつかってきた男子は、ぐちゃぐちゃになった弁当を前に呆然と立ち尽くすわたしとヒカルを見て、今にも泣き出しそうな顔でひたすら頭を下げた。さっきまで「よっしゃ」なんて無邪気に喜んでいたヒカルは、今ではただ呆然と、ガラス玉のような真っ黒な瞳にゴミと化したわたしの弁当を見つめている。わたしは「あ、あんま気にしないでいいよ」と隣でひたすら謝っている彼に慌てて微笑むと、「ほら、ヒカルも別に気にしてないし」とその肩を軽くつっついた。ヒカルはしばらく黙って弁当を見下ろしていたが、やがてすっと顔をあげると、端正すぎて凄みのあるその彫の深い顔でじっと男子を見つめて、ゆっくりと唇を動かした。

「…別に怒ってはないけど、気にするし」

見上げたヒカルのその顔に珍しくちょっと怒りの色が浮かんでいたので、わたしは慌てて「ちょ、ヒカル!」とそのワイシャツの裾を引っ張った。ちょっと人とズレてるところのあるヒカルのことだ、もしかしたら意外とこんなところでブチ切れたりするのかもしれない。わたしは男子に向かって「いいよいいよ、気にしないで!」と笑うと、万が一の時のためにヒカルのシャツの裾を強く引っ張った。ヒカルは男子の顔をじっと見つめたまましばらく黙っていたが、やがてゆっくりとその唇を開いた。

「…気をつけ」
「は…?」
「気をつけ!」
「あ、…ああ、」

ヒカルは男子を気を付けさせると、一歩、静かに前に出た。ヒカルのシャツを握りしめるわたしの手に、一瞬の緊張が走る。も、もしここで本当にヒカルが本当にブチ切れたらどうしよう…とりあえず、バネさんを呼んで…ああ、でも、どうやって呼んでくれば…ああ、どうしよう。どうしよう。どうしよう。助けて、バネさん!しかしそんなわたしの心配を余所に、ヒカルはじっと男子の顔を見据えたかと思うと、やがて、いつも通りの口調で言った。

「…今度から、気を付けてネ。……ぷっ」

ちょっと間が抜けるような彼のダジャレにわたしは思わずよろけると、シャツを握る手をそっと緩めた。よかった、ヒカルは怒ってもやっぱりヒカルだ。ひたすら頭を下げる男子に適当に「ん、もういい」と返すと、ヒカルはゆっくりとしゃがみこんで、転がっていたわたしの弁当箱を大きな手でそっとひっくり返した。それでわたしもヒカルの向かいにしゃがみ込むと、自分も弁当の中身を拾い集めようと手を伸ばす。しかしその瞬間、ヒカルはバッと手を伸ばしてわたしの手を遮った。わたしはちょっと驚いて、ヒカルの顔を見上げる。ヒカルはしばらくだまったままわたしの顔をじっと見つめていたが、やがてすっと散らばった弁当に視線を落とすと、長い指で潰れた卵焼きをそっと拾い上げて、そしてそれをおもむろに口の中に放り込んだ。驚愕の表情で硬直するわたしを余所に、彼はごく当然のような表情でそれをもぐもぐと噛んで飲み込んだあと、真直ぐにわたしの目を見つめて、言った。

「…の弁当は、落ちてもおいちー」
「ばっ…」

「ばかっ、ダジャレどころじゃないよ!」。わたしはわたしの手を制していたヒカルの手を慌てて振り払って怒鳴ったけれども、ヒカルはまるで何も聞こえていないかのような様子で、また手を伸ばして弁当を拾って口に運ぼうとする。わたしはそれで思わず「やめなさい!」と怒鳴ると、その後頭部をげんこつで殴った。「いて」ゴッという鈍い音と共に、ヒカルの手からおかずが落ちる。「あー」と名残惜し気にそれを見るヒカルにわたしはもう一度「食べないでよ!」と怒鳴ると、散らばった弁当を掻き集めて、乱暴に弁当箱に突っ込んだ。ヒカルはちょっと寂し気な眼差しでわたしを見つめたあと、自分も手を伸ばして弁当を片付け始めた。
 
 
 
 
わたしたちは屋上にいた。結局お昼は、ヒカルが近所のコンビニで買ってきたパンと、わたしの分のお弁当を分けっこして食べることにした。ヒカルは何を食べても「まじうま。の弁当、まじうま」と嬉しそうに目を輝かせて喜んでくれた。こんな顔をして食べてくれるなら、わたしも本当に毎日でも作ってあげたいと思う。わたしはヒカルの買ってきたクリームパンを頬張りながら、なんだかすごく幸せな気分だ。ヒカルはパックの苺牛乳を注ぎ口から直接一口飲むと、「も飲む?」とわたしにそれを差し出した。わたしは「うん」と笑って、ヒカルがするみたいに、注ぎ口から直接それを飲んでやった。ヒカルはちょっと目をまるくして、言った。

「豪快」
「まかせてよ」
「ワイルドな人がいるどー……ぷっ」
「くっだらなー」

私がけらけらと笑うと、ヒカルはちょっと嬉しそうだった。そしてヒカルはその大きな手にはちょっと小さすぎるわたしの箸で卵焼きを挟むと、それをすっと口に運ぶ。すっきりとした顎のラインがもぐもぐと何度か動いたあと、ごくっと喉仏が動いた。ヒカルはゆっくりとわたしを振り返ると、また嬉しそうに言った。「うま」。わたしは「ありがと」と微笑んだ。ヒカルは笑って、続けた。

「でも、まじでうまい。その歳でこんな料理できるなんて、、すごい」
「そうかなー。でも、お世辞でも嬉しいよ、ありがと」
「お世辞じゃない。うちの姉ちゃんとかより全然マシ」
「あはは」

「でもさー」わたしは立ち上がって、フェンスにそっと指をかける。ヒカルは箸をくわえたまま、静かにわたしの後ろ姿を見上げた。空はびっくりするくらいに水色で遠くて、真っ白な雲はわたあめみたいにもくもくと膨らんで、なんだかもうすっかり夏の景色だ。心地よい風に大きく深呼吸して、わたしは笑った。

「ダジャレの為とはいえ、ヒカルがおべんと拾ってまで食べてくれた時、ほんとはちょっと嬉しかった!」
「…(殴ったくせに)…いや、別にダジャレの為ではないけど」
「もー、ヒカルが言うと本気に聞こえるから怖いよ」
「…普通に俺、本気だし。…本気出し」

くるっと振り返って、わたしはヒカルの顔を見た。ヒカルはわたしのお弁当箱を学生服の膝にのっけたまま、真直ぐな目でわたしを見つめている。この目を見れば、ヒカルが嘘をついていないことは容易にわかった。ヒカルは持っていた箸をそっと置くと、しばらくの考えるような間のあと、わたしの目を真直ぐに見つめたまま、言った。

の料理は、ぐちゃぐちゃになっても本気でマジくなかった……ぷっ」

言ったあと、自分でツボにハマったらしく、体を屈めてくっくっと笑うヒカルを見て、わたしはちょっとあきれたようにため息をついた。それからもう、彼のさっきの行動は、嘘でも本気でも気まぐれでもなんでもいいような気がした。あの時ヒカルは確かに、迷いのないどこまでも真直ぐな眼差しで、「大丈夫だ」とわたしの目をじっと見つめてくれたのだから。
 
 
 
 


 

ユア・ソー・クレイジー/20040802