インターハイが始まるちょっと前、「じゃあしばらく遠距離恋愛だね!」って言ったら流川はいつもの冷めた表情でわたしを見下ろした。いつも練習についていった公園のコートの隅っこ、街灯の下で、黒くてさらさらの前髪が夜の生ぬるい風に揺れてた。もちろん流川のインターハイでの試合を見に行きたくなかったわけじゃないけど、でもわたしはまだ高校生だし、バスケ部員でもないし、さすがにそこまでついていくだけのお財布のゆとりもなかったから。

毎日、広島にいる晴子からメールが届いたし、流川も「お疲れさま」ってメールを送ったら、ちゃんと返信をくれた(1行くらいだったけど)。でも今日はいつもとちょっと違った。大五郎の散歩をしてて、しかもフンを回収してる時にいきなりショートパンツのポッケで着メロが鳴って、なんだろうと思ったら、晴子がいまにも泣きだしそうな声で流川が大阪のなんとかっていう高校の選手に接触されて、怪我をしたって言うからほんとに驚いた!

家で大人しく帰りを待ってようと思ってたんだけど、その話を聞いたら一気にわたしも広島に行かなきゃって思って、散歩から帰ってすぐ、台所にいたお母さんに「広島に行きたい!」って言った。そしたらその途端、涙が一粒ぽろっとこぼれてしまって、お母さんは「はあ?」と目を丸くしてたけど、理由を説明したら、わたしがそれ以上大騒ぎするまでもなく、交通費と旅費を貸してくれた。お母さん、この御恩はきっと一生忘れません。



…来ねーって言ったり来るって言ったり、あいつの言う事はよくわからん。おまけに目いてーし見えねーし。

待ち合わせをした公園のベンチで貧乏ゆすりしてたら、公園の入口でタクシーが止まって、しばらく運転手とやり取りしたあと、が出てきた。めんどくせーしどうせそのうち気づくだろう思ったからそのままベンチに座ってたら、はやっぱりすぐ俺に気づいて、一体何入れてきたんだってサイズのヘビー級な旅行カバンを肩でぐわんぐわん揺らしながら、こっちに向かって全力疾走してきた。しかも挙句、俺まであと10mくらいのとこでそのでけーカバン投げ捨てたし。一体てめーは何がしてーんだよ。でもこいつ、今日一日で神奈川からここまで来たのかと思うと、結構根性あるな。

「流川っ、…流川」

は肩をぜえぜえ言わせながら俺の前で立ち止まって、泣きそうな顔で「無事だったんだね」って笑った。内心、(いや、無事ではねーけど)って呟いたが、見上げたの頬がちょっと震えてるのがわかったから、なんも言わなかった。とりあえず立ち上がってを見下ろすと、別にこいつを世の女と比べて特別小せーとは思わねーけど、やっぱ小せーなと思った。は眠かったのか泣いてたのかわかんねーけどしばらく笑いながら目を擦ってた。

「その目、試合は大丈夫なの?」
「やれる。さっき、薬もらったから様子見」

俺はポケットの中に突っ込んでいた塗り薬の丸いケースに指先で触れた。はまじまじと俺の目のガーゼを見つめて、「派手にやられたね」と呟いた。でも、選手生命が絶たれるような怪我じゃなくてよかったね!いつもの能天気面でそう言ったこいつが選手生命が絶たれるケースとそうでないケースの差がほんとにわかってるのかは定かではなかったが、突っ込むのめんどくせーからとりあえずスルーしておいた。

「いつもよりちょっと不細工になっちゃってかわいそうだけど」
「…それでもテメーよりはましだ」

そう言うと、は「確かに!」なんてけらけら笑った(アホなやつ)。はしばらく考えるように俺の顔を見詰めたあと、俺の瞼のガーゼに向かってそっと手を伸ばす。おいてめー。さっき医者でやられた時の痛みを思い出して反射的に思わずその手を掴むと、はおそるおそる体を傾げて、俺の顔を覗き込んだ。

「…痛い?」
「触ったらコロス」

「やっぱそっかぁ…」呟いたの面が例によってなさけねーから、俺は掴んでたその手をとりあえず俺の頬にあててみた。はしばらく驚いた顔で息を呑んで硬直してたけど、めんどくせーからほっといたらみるみるうちに顔が赤くなった。何か言おうとして必死に口をぱくぱくしていたが、何も浮かんでこないらしい。だから俺は先に言ってやった。

「こっちなら許す」

俺の頬に触れたのてのひらは、少し冷たかった。なまぬるい風が吹いて電灯に広葉樹の影が落ちた。

 




 
 
 

広島で見たまぼろし/20080401