「流川の部屋に来たの、久しぶりだなぁ」

って言ったら、流川は「俺だって久々だ」って言った。

夏休みももうすぐ終わるっていうのに、今日も神奈川はうだるような暑さだ。七月頃は、流川がアメリカ遠征から帰って来た時、すこしでも可愛いわたしで出迎えたいなあと思って、外に遊びに行く時はちゃんと日焼け止めを塗ったし、アイスも一日に一本って決めてた。でも八月になって本格的に暑くなったら、日焼け止め塗るのもだるくなったし、アイスも美味しくて一日に何個も食べた日もあった。こうしてわたしの誓いは一瞬にしてもろくも崩れ去ってしまった。

わたしのノースリーブの袖から出る腕は、初夏のわたしが夢見ていた華奢で色白なイメージとはおよそかけ離れているけど、夏休みの最後の三日間を流川と一緒に過ごすという夢はいまここに叶った!アメリカから帰ってきた流川は、髪の毛がちょっと伸びてたけど、ほかには何も変わってなくて、あっでもちょっとまた、顔が大人っぽくなったかもしれないけど、でも…とにかく流川が帰ってきてくれて、嬉しい。嬉しい、嬉しい!

「あ…あっ、これ向こうのハミガキ?うわー可愛い、ソニプラみたい!」

流川は昨日の真夜中に帰国したばっかりで、荷物の片付けもまだろくに終わっていないみたいだった。きっと昨日は爆睡だったんだろう。大きなカバンから取り出したばかりらしいビニール袋の中に、色鮮やかなチューブを見つけてわたしは思わず飛びついた。「可愛い、可愛い、何味?」聞くと、流川はしばらく考え込んだあと、「覚えてねー。欲しいならやる」と返して、向こうで買って来たらしい洋楽のCDをデッキに挿入した。エアコンの空調の音だけがごうごうと響いていた部屋の中に、スピーカーから洋楽が流れ始める。流川はそっとボリュームを上げた。

「えっほんと?嬉しいなぁー、じゃ今日から使おっと」
「…(…この曲はいまいち)」
「あ、これは?これは?あっこのシャツ向こうの??へーやっぱ違うねー」
「…(…こっちはアリ)」

ベッドに置いてあったシャツを拾い上げて、わたしは思わず鼻先を突っ込んで匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。もっとUSAな匂いがするかと思ったけど、ずっとカバンの中に入れっぱなしだったからか、わたしが肺いっぱいに吸い込めたのは、結局いつも通りの流川の匂いだけだった。流川はゆっくりとデッキのボリュームをMAXの少し手前まで回すと、ぬっと立ち上がって、わたしの隣に座った。わたしはシャツを胸に抱きしめたまま、くるっと流川を振り返って言った。

「でもでも流川、ほんとに帰ってきたんだね!」
「あたりめーだろ」
「なんだかさー…ふふ、夢みたい!嬉しいっていうか、嬉しい!」

わたしが言うと、流川はいつもの無表情で、長い睫毛をゆっくりと持ち上げていつもの冷めた表情でわたしを見た。言葉に出して言わなくても、流川があきれてるのはすぐにわかった。でも、そんなのお構いなしに、わたしは嬉しい気持ちでいっぱいだった。抱きしめた流川のシャツに鼻先をうずめると、くすぐったいような気持ちでいっぱいになった。

「流川の匂いがする」

流川はしばらく考えこむように黙ったあと、わたしの視界の隅でふーと小さくため息をついた。どうせ次はいつものように、肩をすくめて「やれやれ」だのなんだの呟かれるんだろうと思ったから、わたしは流川にはお構いなしで流川のシャツを抱きしめた。するとその時、流川の大きな手がわたしの腕を捕まえて、胸の中にそっと引き込んだ。抱きしめていたシャツは足元にはらりと落ちる。おそるおそる視線を上げると、そこにはじっとわたしを見つめている流川の黒い瞳があった。一気に心臓が跳ねて、体がびくっと硬直する。流川は、いつもの流川と同じぶっきらぼうで、でもいつもの流川とは思えないくらいにやさしい手で、緊張するわたしの腰を抱き寄せた。

「そんなに嗅ぎてーならこっちで嗅げ」

「その代わり、しばらく大人しくしてろ」流川はそうつぶやくと、おもむろにわたしの胸に顔を埋めて、黙って目を閉じてしまった。そんなところにくっつかれたら、わたしの心臓の音がどきどきしてるのがばれちゃうよ!って言いたかったけど、流川がわたしに、男の子が女の子にする、「好き」のサインを見せてくれたのが心の底からうれしくて、わたしは持て余してしまった手をおそるおそる、彼の頭にのっけた。そして、さらさらの黒髪を撫でた。そしたらとたんに、ああ、ほんとのほんとに流川が帰ってきたんだな、これが現実なんだなって実感が沸いてきて、嬉しいはずなのに…ううん、嬉しいからなのかもしれない、なぜだかとたんに涙が出そうになった。

「…流川、会いたかったぁ」

呟いた声は、自分が思ったよりもずっと震えてて、いまにも泣き出しそうだった。流川は返事の代わりに、のろのろと片手を持ち上げて、ゆっくりと、ただ確実にわたしの胸を揉んだ。(ああ、流川が帰ってきた。ほんとのほんとの流川だぁ)思わずあふれそうになった涙にごしごしと目をこすると、わたしの腕の中で流川がはっきりとつぶやいた。


「…おいテメー、太ったな。俺の居ぬ間に」

 

「えっ…う、うそ…あっ、…それは、えーと、たぶん」

(アイスの天罰だ!)

どう言い訳をしようか、どうすっとぼけようか、思わず口ごもっていると、流川はもう一度、確認するようにわたしの胸を揉んで、しばらく考えたあと、もう一度わたしの胸に顔を埋め直して、小さく呟いた。

「…まぁ、喰いごたえはあるか」

(く、喰いごたえ?)

思わず腕の中の流川を覗き込んだけど、流川はじっとわたしの胸に顔をうずめているだけだった。わたしの部屋ではまずあり得ないだろう大音量で、スピーカーから洋楽が再生されている。そっと目を閉じて、流川のいる空気を全身で感じる。エアコンの冷たい風に、わたしの前髪が揺れる。そっと身を返した流川に、されるがままに、ゆっくりと天地が逆転していく。わたしの視界が流川でいっぱいになる。わたしの世界が、流川でいっぱいになる。

 

 
 
 
 


 

あなたがいる世界/20080331