唸り声を上げて天井を突き上げる目の覚めるような鮮やかな赤をドアの向こうに背負って、彼は立っていた。都市同盟の諸国では見かけない、ハイランド人特有のアーモンド型のすっと切れ長の目の奥で、射抜くような紅蓮色の瞳がわたしを見下ろしていた。兵士達の叫ぶ声、柱の焼け落ちる音、壁を突き破る炎の影、呼吸をするほどに苦しくなる胸。ぼんやりとした意識の中でそっと顔を上げると、わたしを見下ろした男は唇の片端を持ち上げて、静かに目を細めた。

「俺達のやり方もやり方だが、まったく、都市同盟ってやつは単純だ」

炎を背にした彼の長いコートの裾がひらりと大きく翻る。燃えさかる炎の唸り声の中でも、彼の足音が静かに近づいてくるのがわかった。朦朧とする意識の中、精一杯の力で何度か瞬きをして、目の前にいるだろう彼に焦点を合わせる。彼はすっと身をかがめ、まるで騎士の様に優雅な仕草でそっとわたしの前に跪くと、煤で汚れたわたしの手を拾い上げて、そっと唇を寄せて口づけた。そしてそのままゆっくりと瞳だけを動かしてわたしの瞳を覗くと、再びすっと目を細めて笑った。炎の唸り声が、部屋のドアの向こう側で轟々と響いていた。

「シード…どういうこと?」
「都市同盟さんがお前を連れ戻しにお参りだ。だから、この陣営ごと炎を放ってやったのさ」

そう言った彼は、唇の端を持ち上げて、くくっと喉の奥で笑う。わたしは彼の手の中に自分の手を預けたまま、思わず目を見開いて彼を見つめ返した。

「なんで、そんな…」
「奴らの足止めだ。こっちの兵はとうに撤退させている」
「じゃあ、ここは…」
「残されたのはお前一人だ。俺達にとって、お前はもう用済みって訳よ」

都市同盟の捕虜としてハイランド軍に捕らえられたわたしは、都市同盟の一軍を誘き出す餌として充分な役割を果たしたのだろう。ハイランド軍は、わたしを餌に誘き出された都市同盟の軍勢を自陣もろとも炎に沈める策を成したらしい。シードはわたしの手の甲に引き締まった鋭い顎を乗せると、わたしを見つめたまま静かに笑った。長い睫毛の縁取りの中で、紅蓮の瞳が燃えている。

。我が軍にとって、お前という駒はもはや必要のない存在。…だがな」

一度途切れた彼の言葉に、わたしは思わずごくりと息を呑んだ。まっすぐにわたしを見つめる彼の深い紅蓮の瞳が、一瞬、より強く、鋭い輝きを放った。

「もしお前が望むなら、俺はお前を迎えてやってもいいぜ」

彼の唇から伝えられた言葉に、わたしは思わず息を呑んだ。半ばプロポーズを意味するその彼の言葉が、いつもの皮肉や冗談ではないことは、この燃えさかる炎の中に単身乗り込んできただけですぐに理解できた。わたしの心臓が急速にどくりどくりと鼓動を刻み始めたのを感じた。しかしそれは、敵でありながら密かに想いを寄せた相手から求婚された喜びではなかった。

『わかりました』

一言そう言えたなら、彼はすぐにでもわたしを抱きかかえてこの部屋から助け出すのだろう。そして彼の育った土地で、彼の子供を生み、彼とともに彼の愛する祖国を見つめて生きるのだろう。さも、わたしがハイランドの大地で生まれ育った人間であるかのように。さも、都市同盟で過ごしたわたしの日々など、存在しなかったかのように。そして、都市同盟を憎むべき仇とするように。

「シード…」

何をどう考えても、無理な話だった。わたしの心にハイランド軍へ下る選択肢など存在するはずもない。彼がハイランドを愛する気持ちと同じように、わたしの心にも都市同盟や故郷の村を愛する揺るぎない気持ちがあった。何より、人一倍強く祖国を愛する彼ならば、わたしの答えなど聞くまでもなくわかっていたはずだ。何の気まぐれか、まもなくこの部屋と共に燃え上がる炎に呑まれんとするわたしの最後の誇りを、彼は最後に聞いておこうとしたのかもしれない。

ごくりと唾を呑んで、わたしを見つめる紅蓮の瞳を見つめ返した。そして、鋭い瞳にわずかに笑みの色をたたえてわたしを見つめる端正なその顔を見据えたまま、わたしはできる限りの静かな声で言った。

「だめだよ。わたしには、帰る場所がある」

唸る炎の声が、すぐ間近まで迫っていた。言い放った唇や、彼の手のひらに預けた指先が、もう二度と後には引けない恐怖から、小刻みに震えていた。言葉を口にした一瞬、その端正な鋭い顔立ちから笑顔が消えたように見えたが、すぐに彼はすっと長い睫毛を伏せて静かに息を吸い込むと、くくっと喉の奥で笑った。やがて、肩をくつくつと上下に震わせると、天井を仰いで腹の底から笑った。

「まったく、傑作だな。それでこそ、俺が惚れた女だ!」

彼は小さく息を吸って息を整えると、すっとわたしを見下ろして、静かに目を細めて笑った。

「皮肉な事に、俺も祖国が一番に恋しくてね」

その言葉に思わず目を見開いて顔を上げたその時、彼のコートにふわりと抱きしめられるような一瞬の感覚のあと、腹から響いた鈍い音と共に、わたしの意識は途絶えた。

 

ぐったりと力なく自分の腕の中に倒れ込んだ少女をそっと抱き留めて、シードは彼女の鳩尾に沈めた短刀の柄をゆっくりと下げた。布の焼ける焦げた臭いが、もうこの部屋にも立ちこめ始めている。轟々と響く炎の唸り声の中に、兵士が彼女の名前を呼ぶ声が時折混ざって聞こえ始めていた。シードは少女の体を抱き上げて部屋の寝台にそっと横たえると、あどけない寝顔を浮かべたその頬を撫で、薄く開かれたその唇の形を親指の腹でそっと辿った。まもなくこの部屋のドアは蹴破られ、都市同盟の兵達が入ってくるだろう。これ以上この場所に留まれば、己までも都市同盟の餌になりえない。

彼はそっとコートの裾を翻すと、開け放たれた窓から飛び降りた。立ち上る炎がひときわ大きな唸り声を上げた。

 

 

燃える鳥籠/20090415