桃色の薄い紙に包まれたそれは、手作りお菓子特有のバニラエッセンスの甘い香りを放って彼女の腕に下げた紙袋から少年達の手へと移動した。元々の甘党に加えて小腹が空き始めた彼の鼻に、その甘い魅惑的な香りが届かないはずがない。わざとそっぽを向いた背中の向こうで聞こえてくる仲間達と彼女のやり取りに気を焼きながらも、発射間近のロケットのように高ぶった心を彼は抑えきれずにいた。

何の気まぐれか、今日はが部員の為に手作りのクッキーを焼いてきた。日頃、アサリ料理かコンビニ菓子でしか盛り上がらない俺達は、女子の手作りという点でかなりテンションが上がっていた。特に葵のテンションは尋常でなく、背中を向けていても興奮して大声を上げているのがわかる。しかし天根は彼らのように集まって大声ではしゃいだりはせず、あくまでも冷静にこの事態を受け入れていた。もとい、彼自身は冷静なつもりであったのだが。

(Be coolな俺に、もびっくりする。略して、びーくーる…ぷ)

現実では。もはや気付いていないふりすら冷静にこなせず、天根はや仲間達に背を向けたまま意味もなくうろうろと部室の隅を歩き回っていた。そんな不自然な挙動を繰り返している彼の後ろ姿に気付くと、はハッと思い出したように目をまあるく見開いてくしゃっと潰れた紙袋をたぐり寄せると、ポケットに手を突っ込んで部室のロッカーと見つめ合っている彼の元に歩み寄った。

「ヒカル!ねぇ、ヒカルってば」
「…ん?」

本当は一度目の『ヒカル』の『ヒ』の時点で彼女に呼ばれたことに気付いていたが、あえて二度目で気付いた素振りで彼女を振り返った。気を抜くと緩みそうになる表情を必死に押さえてを見下ろすと、彼女は困ったように眉尻を下げて、慌てた様子で口にした。

「ごめん…さっきヒカル見えなかったから、来てなかったのかと思って…」
「む…」
「間違えてヒカルの食べる分まで剣ちゃんにあげちゃっ」

「ダメだ、剣太郎!」

今までのクールな素振りはなんだったのか。天根は がそう言い終える前に鬼のような剣幕でテーブルに群がった仲間達を振り返ると、半ば仲間達を蹴散らすようにして、しゃがみこんで夢中でクッキーを頬張る葵の元へ突っ込んでいった。困ったようにその背中を見送る彼女のその鞄の中に、綺麗にリボンをかけてラッピングされた自分の名前入りのハート型のチョコレートクッキーがあることを、今の彼はまだ知らない。

 

 

秘密のリボンとチョコレート/20090419