真冬の訓練所でなにげなく渡り廊下を振り返ったシードは、白い吐息を呑んで鋭いアーモンド型の目を見開いた。書類を抱えて目の前を横切る彼女の、その小さな背中で柔らかくなびいていた髪が――昨日までは、その小さな背中で柔らかくなびいていた髪が、彼女の襟足の上で見事にばっさりと切り揃えられていた。彼は視線をその白いうなじに奪われたまま、呟くように唇を動かした。

「いくら貧民とは言え、そこまで金に困っていたとは…」
「…ちょっと、ばか言わないでよ」

涼しい顔で何事もなかったかのようにシードの前を通り過ぎようとした彼女は、彼の言葉にぴたりと歩みを止めると、ゆっくりと振り返って彼をにらみ返す。ふわりと揺れた短い髪の奥の小さな白い耳朶で、小さな銀細工のピアスがきらりと太陽の光を反射して輝くのが見えた。

「昨日、ちょっと焦がしちゃったの」
「焦がした?今更、紋章の演習かよ」
「違うの、ちょっと…部屋…ランプで、…ちょっと」

言いながら、彼女は俯いて口ごもる。彼女のその言葉を「ふーん」と適当に聞き流しながら、シードは彼女の短く切り揃えられた髪をじっと見下ろす。そして何気ない仕草で手を伸ばして彼女の短くなった髪の毛をつまんで持ち上げると、指先からするりと滑り落ちる柔らかなその髪の向こうで、また銀細工のピアスがきらりと輝くのが見えた。
は「もう!」とシードの手を払いのけると、ややふて腐れた様子で呟くように漏らした。

「ちょっと寒いけどまぁなんとかなるし、…それに」

小さく息を吸い込んだ彼女の表情が、ふて腐れているはずなのに、一瞬、ほんの少しだけ柔らかくなったように見えた。

「…この髪型、結構気に入ってるの」

彼の鋭くつり上がった目が、僅かに丸く見開かれた。

『…そんなことより、シードもさっさと訓練に戻りなよ!』自分より背の高いシードを見上げて少しだけ微笑むと、彼女はくるりと踵を返し、コツコツとブーツの踵を鳴らして渡り廊下を通り過ぎていった。稽古用の剣をその無骨な左手に携えたまま、シードは小さくなるその後ろ姿で、彼女の白くて細いうなじを見つめていた。

(…何だ、この違和感)

…ただ、俺が長いよりは短い髪の女のほうが好きで、たまたまあいつの髪も短くなっただけだ。ただ、それだけのことだが、何かがやけに胸に引っかかる。それは、短くなったあいつの髪のせいか?それとも、あいつが急にあんな表情をしたからか?おれは、あいつに一瞬でも心惹かれたでも言うのか?冗談だろ、悪趣味が過ぎる。しかし、あの白くて細いうなじや、あの白い小さな耳朶や――

あの白い小さな耳朶――?

(待てよ、)

シードはぴくりと眉を持ち上げると、一瞬、表情を強ばらせた。

(あいつのピアス銀細工のモチーフ、まさか…)

 

窓の外の景色からそっと視線を逸らすと、クルガンは椅子に無造作に掛けられていた黒い上等な外套を拾い上げて袖を通した。そして、整頓された机から白い手袋とハイランド王国軍の紋章の刻まれたエンブレムを、同じように筋張った長い指で拾い上げる。その机の片隅で、絹のハンカチに包まれた丁寧に手入れされた上等な銀の鋏が、窓辺から差し込む太陽の光を跳ね返して輝いていた。

「さて、そろそろ騒がしくなるか」

『は、…はぁぁあああッ!?』

窓の外に響いた男の叫びを背に、クルガンは外套の裾を翻して執務室を後にした。

 

 

 

白銀のトライアングル /20090828