「ここにいたんですね」

頭上から降った声に、は声の主を仰ぎ見る。鮮やかな赤橙の夕焼けを背景に、美しい金色の髪をやわらかくたなびかせて、背の高い青年はそこに立っていた。「探したんですよー」女王騎士の正装の黒い外套に、彼の髪と同じ上等な金の縁取りが夕焼けの赤橙を跳ね返してきらきらと輝いている。

カイルはひょいと身を翻して背の低い防波堤を乗り越えると、の隣に腰を下ろして石壁に背をもたせかけ、きらきらした瞳で彼女の瞳を覗き込む。は夕刻の潮風に当たり続けて冷たくなってきた膝を抱えると、裸の膝小僧にあごをついて、小さくため息を漏らした。カイルはしばらくの表情を覗き込んだまま長い金色の睫毛をぱちぱちと瞬かせていたが、やがて彼女が見つめる視線の先を追う様に、自分も夕焼けの赤橙を跳ね返して輝くセラス湖に視線を向けた。穏やかな潮風が吹き抜けて、赤く染まった水面はルビーのようにきらきらと輝いている。

彼女は抱えた膝にあごを乗せたまま、赤く染まった水平線の先をじっと見つめている。この様子だと、きっともう何時間もこの体勢で過ごしてきたのだろう。気にいらないが、彼女がそうしていることに、思い当たる節もある。カイルは小さくため息をついて少し肩を落とすと、隣で縮こまっている彼女に何気なく声をかけ た。

「もしかして、ゲオルグ殿のお迎えですか?」

は長い睫毛を何度か瞬かせたあと、唇をへの字に引き結んで、そっと目を伏せた。そしてしばらく考え込むようにじっと黙り込んだあと、少しだけカイルを振り返って、抑えた声で尋ねた。

「ゲオルグ、帰ってくるかなぁ」
「そうですねー、俺はきっと戻ってくるって信じてますけど」

「まあ、今日かどうかはわかんないですけどねー」屈託なく笑うカイルの青い瞳の中で、強張っていたの瞳の色が僅かに和らいだ。安心したように肩の力を抜くと、はもういちど膝小僧にあごをついて、ブーツの左右のつま先をそっとくっつけて、唇の両端を小さく持ち上げた。カイルは膝に頬杖をついてしばらく彼女の横顔をじっと見つめていたが、やがてその端正な唇だけを動かして、彼女に尋ねた。

「ゲオルグ殿のこと、ほんとに好きなんですね」
「うん」

彼女は水平線の先に視線を向けたまま「わたしにとっては、大切な人なの」と呟く。そして頬杖をついたままじっと自分を見つめる彼の瞳を覗き込むように見つめ返すと、彼女は楽しそうに笑って続けた。

「それに、帰ってきた時に誰も迎えてあげなかったら可哀相でしょ」

カイルは唇の端だけで微笑み返すと、「 様、優しいなー」と用意された台詞を読むように呟いた。セラス湖は夕焼けの赤橙を跳ね返してルビーの様に輝き、その景色を石壁にもたれて見つめる自分達は、傍から見たら恋人同士のように見えるのかもしれない。しかし現実は、そう甘いものではない。カイルは頬杖をついたまま視線だけ水平線を見つめると、隣で膝を抱えている彼女に向かって尋ねた。

「ね、様」
「んー?」
「もしゲオルグ殿が俺だったとしても、こうやって毎日俺のこと待っててくれますか?」

は目をまあるく見開いて、隣のカイルを見つめる。カイルの透き通るような青い瞳は、じっと自分の顔を覗き込んでいた。穏やかな風が吹いて、彼の柔らかな金色の髪がその頬を撫でる。はカイルの瞳を覗き込んだままぱちぱちと何度か目を瞬かせると、やがて不安げに眉を寄せて、小さな唇を動かして小声で尋ねた。

「…カイル、まさかどこか遠くに行くの?」
「さぁ、どうでしょうねー」
「うそ…、そんなのわたし、困るよ、」

「いかないで」

彼女の唇がそう動くのと同時に、突如として強風が吹き抜け、一際大きな波が石壁に打ち付けた。ざわざわと吹き抜ける潮風に、彼女の髪がそのなだらかな輪郭を辿るように揺れた。言葉は波音に掻き消されて届かなかったけれども、その瞳が戸惑いと懇願の色に曇った途端、自分の胸にうごめく暗雲に一筋の光が差し込ん だような気がした。カイルは自嘲するように目を細めると、気を取り直したようにいつも通りの表情で笑った。

「やだなー、もしもの話ですよ。そんな悲しい顔しないでくださいよ」
「ほんと?」
「少なくとも、ゲオルグ殿が戻ってくるまでは側にいますから」

彼女はその表情に悲しげな影を落としたまま、不安げにこくりと頷く。カイルは柔らかく微笑みながら、自分の胸を恐ろしく冷たい感情が落ちていくのを感じた。

(全く、笑えるよなー)

 

(『ゲオルグ殿が戻ってくるまでは、側に』)

いたいのは俺自身で、

(『いかないで』)

その言葉を言いたいのは、俺の方なのに。

 

「…妬けるなー、ゲオルグ殿」

独り言のように呟くと、カイルはわざとらしく彼女の真似をして長い脚を折りたたんで、抱えた膝にあごをついた。は傍らのカイルを振り返って小さく吹き出して笑うと、膝小僧の上にあごをついて、小さく一息つく。身を屈めた小さな二人の影は、夕焼けの赤橙に染まった石壁に長く伸びていた。

 
 

 
胸の中の砕けたエメラルド/20100507