「おい、クルガンの奴からカナカンの…ん??」

ろくに断りもせず のテントに降りた幕を勢いよく開け放ったシードは、言いかけた言葉を思わず呑み込んで、テントの隅で丸まっている怪しげな物体を見つめた。丸まった毛布の 裾から、どうも見覚えのあるブーツの爪先が小刻みに震えているのが見える。シードは手にしたワインを小脇に抱えると、ずんずんとテントの中を大股で歩き、柔らかな明かりを灯すランプの横でがたがたと震えているその毛布に手をかけて、一思いにそれを引ん剥いた。

「……っ、うう…」
「…おい」

を見下ろしたシードは、その高くつりあがった眉を訝しげに顰める。は毛布の中で、膝を抱えてぽろぽろと大粒の涙を零していた。シードはしばらく涙でぐっしょりと塗れたの長い睫毛を見下ろしていたが、やがての目の前にしゃがみこむと、長い指で彼女の前髪をのけて、その表情を覗きこむ。は裸の膝に鼻先を押し付けたまま、ぐずぐずと鼻をすすっていた。

「おい、どうした。何か悪いモンでも喰ったか?」
「うう…、っ」
「おい、」

シードは大粒の涙の伝い落ちるその頬に手を伸ばすと、その頬を指先でつまんで横に引っ張る。はぶんぶんと大きく首を横に振りながら、されるがままに頬を抓られたままぽろぽろと涙を流していたが、やがて頬を横に引き伸ばされたまま、震える声で搾り出すように漏らした。

「っ…おば、」

「あぁ?」

「おばけ…っ…!」

 

 

 

泣き腫らした瞼を伏せて、は両手のひらでワインの入ったグラスを持って俯いた。シードはワインの入ったグラスを置いて、テーブルに頬杖をついたまま横目にの表情を見つめる。

の証言によると、つい先程、のテントに伝令を持って来たラウドに突然にこの駐屯地にまつわる七不思議の話を持ち出され、おまけにのテントの位置する場所には吸血鬼によって滅ぼされた一族の亡骸が埋まっていて、この場所にテントを張る者を一夜で呪い殺すのだとのたまわれたという。は部下に動揺を悟られないために必死に平静を装っていたが、胸に渦巻く恐怖心に打ち勝てず、ラウドが去った後は毛布に包まってひとり、ずっと泣きながら震えていたらしい。

(…どう考えても口から出任せだろ…相手はあのラウドだぜ?)

説 得の末、包まっていた毛布もやっとのことで寝台に戻した彼女は、椅子に座って大人しくワインを飲んでいる。シードはランプに照らし出される彼女の滑らかな 頬の輪郭を見つめたまま、小さくため息を吐いた。いつもは気丈に振舞う彼女が嘘のように、泣き疲れた様子で彼女は自分の隣に黙って腰を下ろしている。あれ だけ気の強い女が、こんな些細なことでその心を挫くとは意外だが、人間誰しも弱点のひとつやふたつはあるものだろう。

シードは一息吐くと、横に腰を下ろしたの頭を無骨な手でおもむろに自分の方へ抱き寄せて、その柔らかな髪を大きな手のひらでそっと撫でながら笑って言った。

「ガキみてぇだな」

「…そんなこと言ったって、」

「ほんとに怖かったんだよ」頭の上のシードの指を細い指先で捕まえて、は不満げに唇を尖らせてみせる。シードはその表情を見下ろしてわずかに目を細めると、「恨むならラウドを恨め」と掠れた声で笑った。はしばらく頭の上でシードの指先を掴んでいたが、やがてその手をそっと膝の上に持ってくると、とらえた彼の長い指をそっと握り締める。突然の仕草にわずかに眉を持ち上げるシードのその瞳をそっと覗き込むと、は押し殺した声で彼に問いかけた。

「ねえ、シード。…一つだけ、お願いしてもいい?」
「なんだよ」

はしばらく居心地が悪そうに辺りをきょろきょろと見回したあと、彼の耳元にそっと小さく柔らかな唇を寄せると、ひそめた声でそっと囁いた。

「…今夜、わたしが眠れるまで側にいてくれる?」

耳朶に触れる彼女の言葉ひとつで、いとも容易く自分の胸に風穴が開いたのがわかった。

 

 
 

 
化け物か獣/20100521