曇り空から差し込む太陽の光が、部屋の隅に置かれた本棚の影を伸ばす。開け放った窓の外では、踏み切りの遮断機が下りる音と近づく電車の音が響き、電気を消した部屋の天井には煙草の煙が薄く棚引いている。裸の上半身に包帯を巻き、下半身はスウェット一枚というラフな格好で、城戸はくわえていた煙草を親指と人差し指の腹で挟んで抜き取ると、薄く開いた唇からフウと煙を吐き出した。 (はぁ、何でこうなるかなー…) 見たことのある顔だったし、いわゆる報復だったのだろう。街中で名前を呼ばれて振り返ると、突然ナイフを振り下ろしてきた。不意打ちの一発は左肩に喰らったが、すぐに全員殴り倒して、一瞬で騒ぎは収まった。しかしその足で組に顔を出したものの、傷を見た新井さんは、療養も兼ねて俺に一週間の休暇を言い渡した。そんな大した怪我じゃないと食い下がったが、やっぱり兄貴の命令には従わざるを得ない。 (…ん?) ふと視線を上げると、テーブルの上にある紙袋が目に入った。受け取ったまますっかり忘れていたが、確か舎弟が見舞いの品だと強引に押し付けてきたものだ。城戸はしばらく考えたあと、おもむろに体を起こして紙袋に腕を伸ばすと、胡坐をかいた膝の上で袋に右手を突っ込んで中身を取り出し…そして、思わず眉根を寄せた。 「『モロ見え!昼下がりの美人妻』…」 持っていた煙草を唇の端にくわえると、パッケージを裏返して写真や煽り文に視線を走らせる。正直、人妻モノは嫌いじゃない。嫌いじゃないし、何より見たところ、このDVDは無修正の裏モノだ。なら、迷うまでもなく答えは一つ。 (…どうせ、暇だしな) 城戸はテーブルの上に無造作にAVを置くと、体を起こしてテレビの前にしゃがみこみ、DVDプレイヤーの電源を入れる。そして額に落ちる茶色い髪を筋張った指でかきあげながら、開いたディスクトレイを覗き込み、中に入っていた洋画のディスクを拾い上げる。そしてテーブルの上に置いたアダルトDVDに手を伸ばした、その瞬間。 ――ピンポーン。と、部屋のインターホンが鳴った。
「はーい、っと…」 ドアを開けた先でちょこんと佇んで、こちらの様子を伺っていたのは、城戸が密かに思いを寄せるだった。突然の事態に、一瞬にして心臓が跳ね上がり、胸が高鳴り始める。うるさくドキドキと音を立てる鼓動を落ち着けながら彼女を見下ろすと、は丸い目をますます大きく見開いたあと、不安げに眉尻を下げた。 「怪我のこと、新井さんから聞いたの。体、大丈夫?」 反射的に頭を掻こうとして…そして、気がついた。の前だというのに、髪もぼさぼさで、おまけに上裸だ。 「ご、ごめん!こんな格好で…」 慌てて部屋に引き返そうとした城戸を、は慌てた様子で呼び止める。『すぐに帰る』の言葉に、安心半分、期待外れ半分で振り返ると、は肩から下げたトートバックをごそごそと探っていた。 「あの…これ。良かったら…」 彼女がおそるおそる城戸に差し出したのは、弁当を入れる巾着を少し大きくしたような袋だった。言いかけた彼女の頬がみるみる紅潮するのを見て、途端に胸の奥がぎゅっと切なく痛むのを感じた。照れたように俯くその表情に、もしかしたら彼女も俺を――、なんて淡い期待が膨らんでしまう。食い入るように見つめる城戸の視線に、そっと顔を上げたの視線がぶつかった。 「作ったの。だから、もし食欲があったら、食べてね」 城戸は無骨な手をそっと伸ばすと、彼女の手から巾着を受け取り、包みの絞りを筋張った指で出来るだけ丁寧に解いた。すると、中にはビーフシチューと思しきものが入ったタッパーがあった。城戸は手にしたタッパーにじっと視線を落としたまま、照れたような困ったような表情で視線を彷徨わせて俯くに、浮かれた胸中を悟られないように、できるだけいつもと同じ調子で尋ねた。 「…これ、手作り?」 は頬を紅潮させたまま、眉をハの字にして「あっ、でもルウはスーパーで買ったやつだよ!」と続けた。城戸はそっと顔を上げて、自分より頭二つ分ほど背の低い彼女を見下ろす。それではますます動揺したように視線を彷徨わせたあと、ミュールの爪先に視線を落とした。城戸もつられるようにその白い爪先に視線を落とし、そして、噛み殺し切れない笑みを唇の端に浮かべた。 「…ハハ。いや、…マジで嬉しい」 の表情がぱっと明るくなり、にこっと微笑んだ顔にまた鼓動が高鳴る。見上げる表情に、思わず吸い込まれそうになる。そのさらさらした茶色い髪とか、つるんとした頬とか、柔らかそうな手とか。触ってみたいけれども、一度触れたら、もう誤魔化せないし、後にも引けなくなる。今の俺がそんなことをしても、彼女を困らせるだけだ。ぐっと力を込めて、手のひらを握り締める。 「…じゃあわたし、そろそろ行くね!」 は城戸を見上げてにっこり微笑むと、くるりと踵を返してアパートの廊下を歩き出す。城戸は一瞬言葉を呑もうとして…そして、考え直して、慌てての背中に声をかけた。 「ちゃん」 爪先で玄関のサンダルをつっかけて、彼女の背中を追いかける。は城戸の声と足音に立ち止まると、驚いたように目を丸くして振り返る。城戸は手渡されたタッパーをしっかりと掴んだまま、掠れた声で言葉を続けた。 「傷が治ったらさ、デー…、じゃなくて飯でも行かない?…礼も兼ねて」 言いかけた単語を慌てて呑みこみ、そして口実を付け足す。曇り空からさす光が、彼女の表情を照らす。彼女は驚いたように目をぱちくりさせたあと、嬉しそうに目を細めた。 「うん!行きたい」 それは、空を覆った雲を突き抜けるほどに、眩しい笑顔だった。
「はぁ…」 言葉と共に吐いた溜め息は熱く、声は掠れる。頬に触れる髪をかき上げると、額までが熱に浮かされたように熱い。城戸はしゃがみこんだまま、長い睫毛を伏せ、瞼を閉じた。瞼の裏に焼きついた、潤んだ目、紅潮した頬、少しだけ震えていた、柔らかそうな唇。 手にしたタッパーに、彼女の純粋な笑顔とうぶな反応を思い出し、テーブルに置かれた無修正アダルトDVDが途端に煩わしく感じる。前髪をかき上げた手でくしゃりと頭を抱えて、彼女の純情に胸を焦がした。
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