まだその胸には余韻があるのだろう。照れ臭そうに俯いた彼女の唇の端に浮かぶ笑みが、俺は面白くない。

秋山さんに会えば、きっとこうなるような気がしていた。男の俺から見たって、秋山さんは顔もいいし、口も上手いし、頭もよくて喧嘩も強い。そんな良い男に肩を抱かれて、意味深に耳元で囁かれれば、女ならこうなるのも仕方ない。仕方ないけど…

(…秋山さん、絶対遊んでるし)

スラックスのポケットに手を突っ込んだまま、自分より頭二つ分ほど背の低い彼女の横顔を見下ろす。女の子特有のくるんとカールした睫毛は、いつもより心なしかきらきらして見えた。俺のことを好きになってほしいとか、そんな大それた事は望まないけど、せめて彼女を泣かすような悪い男には引っかからないでほしい。

(はぁ…)

秋山さんの前での表情見てたら、今まで俺が必死になって追いかけてた彼女の甘い表情なんて、実は大した価値もなかったんじゃないかと思えてきた。待ち合わせに遅れてきた時のあれも、彼女の誕生日に飯喰った時のあれも、終電なくして家まで送った時のあれも。俺にとってはどれもこれも、大切な可能性の欠片だったけど。

 

「秋山さん、いい人だったね」

彼女の声でふと思考が現実に引き戻され、何気なく視線を下ろすと、彼女は人懐っこい笑顔を浮かべて俺を見上げていた。その真直ぐで純粋な表情に何となく居心地の悪さを感じ、下ろした視線をそのまま彼女から逸らして適当に返事を返した。

「あー、まぁ…」
「なんだか…親切な人だよね」

言いながら何かを思い出したのか、彼女の頬がわずかに紅潮する。――いや、もう勘弁してくれって。それ以上言ったら、俺の心なんて簡単に千切れんだから。

「あぁ、」居心地の悪さを誤魔化すように頭をばりばりと掻くと、スラックスのポケットに突っ込んだ手で煙草とライターを探った。くしゃりと凹んだ煙草の箱を抜き出すと、底を指の腹で軽く叩いて一本抜き取り、唇に咥える。そして使い捨てライターを抜き取ると、左手で煙草を覆うようにしてライターを近づけた。指の腹で着火装置のダイヤルを擦ると、小さな火花と共に、カチカチと空打ちする音が響く。訝しく思って手元のライターを覗き込むと、既にオイルが空になっていた。

小さく舌打ちして空になったライターをポケットに捻じ込むと、唇から煙草を抜き取って小さく息を吐く。隣で目をぱちくりさせていたは、はっと何かを思い立ったように目を丸くして「あ」と小さく声を漏らすと、バッグの中をごそごそと探って、そして俺の左手の手のひらにこつんと何かを押し当てた。

「ん?」
「これ、秋山さんが」
「秋山さんが?へぇ…」

嬉しそうに目をきらきらさせて笑うの表情から、そっと左手に視線を落とし…そして、そっと指を開くと、俺の手には新品と思しき使い捨てライターが握られていた。指先で拾い上げて目の前にかざすと、俺は印字されたロゴに視線を走らせ――そして、思わず盛大に咳き込んだ。

「秋山さんが、『これはとても大切なものだから、その時がきたら城戸ちゃんにあげてね』って…」
「…は、はは」


(いや、あの人やっぱ最低だ…)

 

使い捨てライターには『ヴァージン』の文字と、その下に小さく電話番号が印字されていた。恐らく、どこかのラブホテルにでも置いてあったものだろう。俺はその文字がから見えないようにライターのロゴを手で覆い隠すと、右手に持っていた煙草を急いで咥え、受け取ったライターで火を点けた。

「でも結構すぐだったね、“その時”って」
「はっ?いや、その…まぁ…うん、」

きっと何も知らないだろう彼女がにこにこ嬉しそうに笑うもんだから、俺は煙を吐き出すと、動揺を悟られないように左手のライターをさっさとポケットに捻じ込んだ。秋山さんの子供じみた悪戯のせいで、元々狂った調子が更に狂ってしまう。俺は気持ちを落ち着けるように肺深くまで唇から煙を吸い込んでゆっくりと吐き出した。

(…つーか秋山さん、当分“その時”なんて来ねぇの知ってる癖に)

ポケットで、秋山から受け取ったメッセージがじりじりと疼く。そんな俺と秋山さんの暗黙のやり取りを知る由もないは嬉しそうににこにこと笑うので、俺は小さく溜め息をついて、少し笑った。


 

 

 
ヴァージンガール/20120714