目を覚ますと、まだ辺りは仄暗かった。おもむろに首を傾けて窓を見やれば、カーテンの隙間から輪郭のぼやけた白い月が薄っすらと覗いている。時刻は真夜中を少し過ぎた辺りだろうか、夜の闇も未だ色濃い。乱れて額に落ちる髪を手のひらでざっと掻き上げると、僅かに開いた窓の隙間から入り込む生ぬるい初夏の風が、カーテンの裾をひらりと揺らした。


(まだ夜か…)

目を覚ますには、いくらなんでも早過ぎる時間だ。小さく息を吐いて窓の外を仰いだ首をゆっくりと戻すと、戻した視線の先に、同じベッドのすぐ隣でこちらに背を向けて小さく寝息を立てているの後ろ姿があった。カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされた、細い肩、さらさらで柔らかそうな髪、キャミソールから覗く滑らかな裸の背中。自分よりも一周りも二周りも小さな背中が、その小さな寝息に合わせて穏やかに上下している。数ヶ月前は一人で眠っていたこのベッドに、今では惚れた女の子が彼女として隣にいて、幸せそうに寝息を立てている。あらためて気付かされた幸せな現実に、俺は思わず表情を緩めた。

(…つーか俺、彼女できたんだな…すげぇ久しぶりに)

今までの自分の恋愛遍歴を振り返っても、正直自分がろくな恋愛をしてきたとは思えない。そもそも、そこまで激しく女に熱を上げた事もなければ、特別入れ込んだ事もない。それでも自分なりに真面目に向き合ってきたつもりだったが、鋭く心理を見抜かれて捨てられた事もあった。

そんな俺にとって、との出会いは特別だった。出会った瞬間から魔法にかけられたように引き寄せられ、その目を見つめれば吸い込まれるようで、やがてすぐに喉から手が出るほど欲しくなった。しかしのめり込めばのめり込むほどその心中に踏み込めず、数え切れない程の苦悩や葛藤を繰り返してきた。

紆余曲折の末、何とかこうして同じベッドで眠るまでの関係になる事が出来たけれども、ここに至るまでの道程は生半可な物ではなかった。何度もの苦悩を乗り越え、やっとの思いで手に入れたのが、隣で寝息を立てているなのだ。

(ちゃんと好きな子と付き合うなんて、初めてだな…)

途端に愛しさが込み上げて、眠っているその背中ですら胸の奥がぎゅっとつねられたように切なく痛む。規則的に繰り返される小さな呼吸、すべすべした裸の背中、さらさらした柔らかそうな髪。彼女を作る小さくて柔らかなその全ての要素が、どれ一つをとっても猛烈に愛しく、見つめるだけで胸が締め付けられる。俺は視線のすぐ先にあるその小さな背中に視線を奪われたまま、渇いた喉をごくりと鳴らした。

(…起こさねぇように、)

俺のベッドは普通のシングルサイズで、二人で並んで眠るには少し狭い。だからこそ、腕を伸ばせば隣で眠るをすぐに抱き締める事もできた。俺は彼女を起こさないように、布団から出していた自分の腕をスローモーションのようにゆっくりと彼女の体へ伸ばす。そしてその背中にそっと体を寄せると、彼女の小さな背中をゆっくりと抱きしめた。包み込むように抱き込んで白いうなじに鼻先を埋めると、すべすべした肌からほのかに香る柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。額を撫でるさらさらした柔らかい髪も、抱き締めた腕に触れる柔らかい二の腕も、その何もかもが心地よかった。

(あー…、すげぇ、好きだわ)

起きている時はこんな大胆な真似は出来ないから、いっそこのまま寝ぼけたふりで抱き締めていたい。いつまでもこうして彼女の温もりに酔い痴れて、柔らかな感触に甘えていたい。遠回りをした心の距離を埋めるように、俺は彼女の小さな体をそっと、大切に抱き締めた。

「…、」

その名前を彼女の耳元でそっと呟けば、掠れた声は溜め息のように彼女の首筋を滑り落ちる。名前を口にするだけで、こんなにも愛しく、胸は苦しく、そして心地よい。

(…やっぱ惚れてんな、俺)

彼女の柔らかな肌の感触を、匂いを、肺深く吸い込んで抱き締めれば、シングルベッドが鈍く軋みを上げる。彼女を抱く幸せに熱い瞼を閉じると、初夏の風が俺の頬をゆっくりと撫でて通り過ぎた。

 

 

 
スロウ/20121003