教室の時計は午後5時30分を指している。夕焼け色に染まった窓の外を眺めながら、は大きく溜息をついた。3年F組の教室の窓からは中等部の中庭を一望する事ができたが、そこは昼休みや中休みこそ中等部中の生徒で賑わうものの、この時間帯になると通り過ぎる生徒すら少なく、いくら眺めてみても特に何の変化もない。は頬杖をついて夕焼けの赤橙に染まりゆく中庭の緑をただぼんやりと眺めていたが、不意に制服のスカート越しにショーツの膨らみをつうと撫で上げられる感覚を覚えると、ビクッと肩を跳ね上げて恐る恐る背後を振り返る。すると、そこにはいつの間にか部活のミーティングから戻ってきていたらしい恋人の仁王雅治が、自分のスカートの尻の辺りにその手を這わせて、してやったりと言った表情で切れ長の目を細めて笑っていた。

「プリッ」
「、雅治…」
 
 

「び、びっくりしたじゃん、もー…」

仁王は満足気に唇の端を持ち上げると、尻に添えていた手をすっと降ろして「待たせて悪かったのう」との隣に立つ。そして一つ大きく欠伸をすると、窓の外に視線を向けた。夕焼けの穏やかな赤橙の光は、どこか鋭い印象のある彼の横顔を不思議と柔らかく映し出す。はしばらくぼんやりとその横顔を見つめていたが、やがてちょっと眉根を寄せると、湧き出てきたあくびを一つ、噛み殺した。仁王はしばらく黙って静かに窓の外を眺めていたが、不意にその眉をぴくりと持ち上げて「お」と声を漏らすと、中庭に現れた人影に鋭く目を凝らす。そして隣でぼんやりと上履きの爪先に視線を落としているの制服の袖をちょいと引っ張ると、ひそめた声で囁いた。

「…見てみんしゃい、あれ」
「え?」

「なに?」窓から身を乗り出してきょろきょろと辺りを見回すのその腕を掴んで慌てて引き戻すと、「目立ちなさんな、見つかったら面倒だ」と潜めた声で囁いて、「ほら、あそこ」と中庭の人影を指さす。は彼の指した先を目で追って、そして僅かに目を丸くすると「あ」と声を漏らした。

夕焼け空に照らされた中庭に表われた男女は、上履きの色からすると、どうやら自分達と同学年の様だった。こんな時間に人気の無い中庭を男女二人で寄り添って歩く彼らが恋人同士であることは誰の目にも明らかだ。仁王は「全く、お熱いこったな」と愉快気に目を細めると、喉の奥で低く笑う。中庭の男女はしばらく腕を絡ませて談笑している様子だったが、やがて脇にあるベンチに腰を降ろすと、再びなにやら楽し気に戯れあい始める。興味深そうに彼らを見つめる仁王の隣で、は僅かに目を見開いて硬直していた。

(あれって…)

間違いない、あのカップルは1年の頃、男女揃って自分と同じクラスだった。しかも男子生徒の方はわたしが入学式で一目惚れして、クラス替えまでの一年間ずっと片思いし続けた相手だ。当時から彼に好きな人がいるという噂は何度も耳にしていたし、仮にその事がなかったとしても自分には愛の告白なんて大それた行動に出られるほどの度胸も無かったので、結局最後まで何の行動にも出られぬまま終わってしまった恋だったけれども。……そういえば、彼の隣にいる女子生徒は、彼の所属する運動部のマネージャーをやっていたような気がする。もしかしたら彼らの恋は、わたしが彼に呑気に一人熱を上げていた頃から、既に始まっていたのかもしれない。そう考えたら突然、何もかもがとても遠い過去のことの様に感じた。

(そっか…)

眉をハの字にして複雑な表情で俯く彼女の横顔を仁王はしばらく黙ったままじっと真直ぐに見つめていたが、やがて思い出したように視線を再び中庭に戻すと、瞬間、僅かに目を丸くして、硬直した。隣の仁王の様子に気付いたもちょっと眉を持ち上げて中庭に視線をやると、俄にその目を見開く。そしてやはり、硬直した。

先程まで戯れあっていた彼らは、静かに唇を合わせていた。校舎の窓からそれを見下ろしたと仁王は、まるで時が止まったかのように、二人して驚愕の表情で硬直した。しばらくの間の後、男女はそろそろと立ち上がると、照れたように俯き、微笑みあい、手を取り合って再び歩き出す。そしてその二つ並んだ後ろ姿は少しずつ遠ざかって、やがて渡り廊下の方へと消えていった。仁王はしばらく面喰らったような表情で言葉を失っていたが、やがてぽつりと、「…随分と大胆な奴らやのう」と一言、漏らす。はしばらく黙ってじっと彼らの消えていった先を見つめていたが、やがてそっと隣の仁王を見上げると、ちょっと肩を竦めて微笑んで、言った。

「…今の子達、1年の時同じクラスだったよ。二人とも」
「ほぉ…そりゃ偶然」
「うん。それで、わたし、あの男の子のこと、ずっと好きだったんだ。2年のクラス替えの時まで」

の言葉に仁王はぴくりと眉を持ち上げた後、「…へぇ」と一言だけ返すと、不意に黙り込んで、窓の外の夕焼けに静かに目を向けた。はいつもと同じ様に笑って「懐かしいな」と窓の外に身を乗り出すと、まばゆい赤橙の空にそっと目を細める。夕焼けの懐かしい赤橙に、仁王の銀色の髪が透き通ってさらさらと輝いている。その滑らかな頬には長い睫毛が薄く影を落として、彼の女性的な顔をより色っぽく見せた。は手摺を掴んだまま、仁王の横顔を見つめる。初秋の風が吹き抜けて、二人の髪と制服の襟を穏やかに揺らした。

仁王はしばらく黙ってじっと夕焼けを眺めていたが、やがて小さく息を吐くと、その首筋にすっとその手のひらを滑らせて、窓の外に視線を向けたまま、ぽつりと呟くように言った。

「…のう、
「うん?」
「…俺はあいつより百万倍上手にキスできるけんども」

彼は夕焼けを背に振り返って、続けた。

「…どうかの?」

はしばらく目をぱちくりさせて仁王を見つめていたが、やがてちょっと俯くと、堪えきれなくなったように小さく吹き出す。そして桃色に染まった頬を窓のアルミ製の手摺に押し付けて心底幸せそうに微笑むと、柔らかく目を細めて自分を見つめる仁王に、そっとまた微笑んで、返した。

「おねがいしよっかな」
 

 
 
 
 
 
Happy End/20040925