汗で体にへばりつくブラウスを引っ張ってぱたぱたとやりながら、は大きくため息を吐いて天井を仰いだ。この蒸すような暑さのせいか、さすがの小林も今日は少しぐったりと疲れている。彼はしばらく教科書を睨んだまま指先でシャープペンをくるくると回していたが、やがてその指からぽとん、とシャープペンが落ちた。彼の唇から、ため息が洩れる。扇風機がゆっくりと首を振る音が、蒸し暑い部屋に響いた。彼の首筋を一筋の汗が伝う。
 
 

 
舌と熱

 
 
 
 
 
「…溶けそう」

呟く。体中にじっとりと汗をかいている。小林はノートの上のシャープペンをすっと脇によけると、額にへばりつく前髪を大きな手でふっと掻き上げた。柔らかな金色の髪がふわりと落ちて、再び彼の額を隠す。小林の唇から再び、ため息。私は汗ばむ脚を投げ出して、下敷きでぱたぱたと首筋を仰ぐ。こんなじめじめと蒸し暑い日にクーラーもない小林の家で勉強会だなんて、私達もなかなか変態だ(ああ、通りで今日は小林のなんてことない仕草が妙にやらしく見えたりするわけで)。開いた第二ボタン、汗ばんだ肌、へばりつくシャツ。小林の喉仏がちょっと動いたのに合わせて、また一筋の汗が彼の首筋を伝った。なんだかエッチだ。

「…いかんな」
「もう勉強終わりにする?」
「それもいかん」

言って、小林は数学の参考書の頁を捲る。一頁、二頁。十秒間ほど睨み合ったあと、ぱたんと閉じた。はちょっと笑った。ちょっとした嫌味や皮肉を思い付けるほど、頭は回っていなかったけれども。小林はしばらく目を閉じたままずっと黙り込んでいたが、やがて胡座をかいていた脚をひんやりとした畳の上に投げ出した。その時、の膝に膝がぶつかったけれども、特に気にしなかった。扇風機が小林の方を向く。シャツの襟がぱたぱたと揺れた。

「…やっぱり、今日はこれで終わるか」
「小林らしくないじゃない」
「……いや」

暑さのせいで、頭がぼんやりする。小林と触れ合っている膝が熱くて暑いけれども、そのままにしておこう。ああ、暑い。ああ、熱い。扇風機がまた小林の方を向いて、彼のやわらかな髪がふわふわと揺れた。不意に小林が目を開けて、を見る。もじっと小林を見る。なんとなく、見つめあう。たっぷりそれも、十秒間ほど。ちょうどこめかみの辺りを、汗がツウと伝うのがわかった。私は小林の目をじっと見つめたまま、言った。

「…小林」
「なんだ」
「…今、わたしとキスしたいと思ってない?」

小林は少し面喰らったような顔で、私を見た。私は一瞬の表情の変化も見逃さないように、じっと小林を見つめる。麦茶のグラスの氷が、からんと音を立てる。扇風機が私のブラウスの襟を揺らす。小林はしばらく唖然とした様子で私を見つめていたが、やがて「お前…」と、掠れた声で呟くように言った。

「…本気か?」
「わかんない」

あっさりと返して見せたに小林は再び面喰らったような表情で呆然としたあと、複雑な表情で俯いた。わたしの頭はどうやら相当いかれてしまっているらしい。それは暑さのせいだろうか。それとも熱さのせいだろうか。それとも、理性の下に眠る危ない本能が、顔を覗かせただけなのだろうか。小林は相変わらずの渋い表情で、何から私に伝えようか悩んでいる様子だ。私は彼がその唇を開く前に、冗談だと笑って済ませようと思った。でも彼は、静かに私の手を握った。私は驚いて、彼を見た。彼は私を見つめていた。少しだけ笑って、言った。

「…しかし、言われてみれば…そんな気分かもしれん」

私は驚いた。真直ぐに自分を見る小林の目を見つめ返したまま、尋ねた。

「…それ、本気?」
「…お前こそ、どうなんだ」
「わかんない。…でも、小林がしたいなら、私もしたい」

私の言葉に、小林はまた少しだけ笑った。そしてそっと身を屈めると、普段の彼からは想像もできない様な繊細な仕草で私の唇に優しく口付けた。生温くて柔らかいその感覚が愛おしくて、確かめるみたいに、そっと角度を変えて何度も彼の唇に触れる。「…」うわ言の様に、触れ合う唇が私の名を呼んだ。そっと目を開けると、彼の首筋を汗が一筋伝うのが見えた。シャツの下に見えるじっとりと汗ばんだ肌が、なんだか色っぽい。やがて、僅かに開いた唇から小林の舌が不器用に割り入ってくる感覚を覚えて、はそっと目を閉じてそれに応えた。

畳が僅かに軋み、グラスの氷がからん、と音を立てて溶ける。扇風機が低く唸っている。窓に下がった風鈴がちりんと涼し気な音を立てて揺れる。胸の奥にじわりと沸いた熱は、やがて体中を焦がす。

 

 

/20040703