夜はこれから 2



「やっぱり夜になると冷えるね」
「ハイ…」

先刻までの花が綻ぶような笑顔はどこへやら、一歩事務所を出た途端に彼女はすっかり寡黙になった。4月とは言え、夜になれば冬の終わり頃と変わらないくらい冷える時もあるし、今夜は生憎風もある。階段の最後の一段を降りて見上げると、彼女は薄いシフォン素材のトップスに覆われた肩を小さく縮こまらせて、階段を一段ずつそろりそろりと慎重に降りてきた。そしてハイヒールのパンプスでコツ、と音を立てて地上に降り立つと、小走りで駆け寄って、そして俺の背中に隠れるようにくっついて立った。

「? 何してるの、君」
「…何でもないです」
「何でもって…」

背中にくっついて小さく肩を縮こまらせている姿に訝しげに眉を寄せると、冬の冷気を纏った風がひゅうと当たりを吹き抜けた。その瞬間「うぅ、」という小さな悲鳴を共に、縮こまっていた彼女が俺の背中にぴたっとくっつく。ビルの裏路地に入れば、表通りよりも隙間風も多い。吹き抜ける冷たい風を数秒間そうしてやり過ごして、俺はゆっくりと振り返る。彼女は俺の背中の後ろで、肩を縮こまらせて小さく震えていた。

(まぁ、随分薄着だからね…)

そもそも、彼女がこんな時間まで神室町にいる羽目になったのも俺の責任だ。いつも通りの定時で上がっていれば、こんな寒い目に遭うこともなかったのだろう。背後の彼女をさりげなく見下ろせば、彼女はまるで小動物のように震えながら俺の背中にくっついている。その仕草ひとつで男が勘違いすることも、きっと彼女は気付いていないのだろう。

(これが天然の策略ってやつか…)

計算ごとは子供の頃から得意な方だが、こればかりは小学生の頃に学習塾で苦戦した『算数のたかし』のドリルにもない超難問だろう。しかし、あえて間違いを犯してみるのも悪くない。俺はくるりと背を返して彼女を振り返ると、その肩を軽く自分のほうに抱き寄せて囁いた。

「寒いんだろ?なら…」

そう囁くと、彼女ははっと目を丸くして、そして言った。

「毛布とってきます!」




   (お題:僕が愛した策略 /  必須要素:《算数のたかし》 / 制限時間:30分)